福岡の木村専太郎クリニック院長、木村専太郎の執筆した文献などをご紹介

種痘の先駆者 其の一 ~初代内務省衛生局長・長与專斎の祖父~

はじめに

大村藩医の長与俊達は、19世紀初頭から種痘のことを研究して大村藩の地で、全国に先駆けて、種痘の分野で大変活躍した医師である。
孫の長与專斎は、江戸末期に大坂(大阪)緒方洪庵の適塾に学び、長崎に来ていたオランダ商館医で軍医のポンペ、さらにポンペの後任ボードウィンとマンスフェルトの指導を受けた。

のちに長与専斎は長崎医学校の校長を歴任し、さらに上京して東京医学校校長(のちの東京大学医学部)、内務省衛生局長を歴任して、明治時代に日本の近代医療の基礎をつくった医学界の重鎮である。
長与俊達はこの長与専斎の祖父にあたる人物である。
孫は大変著名であるが、祖父の長与俊達は大村藩内で画期的な事業を行ったにも関わらず、通常医学の歴史の表舞台には登場してない。

長与村と長与家の関係

長崎県の諫早と長崎の間に長与という地名がある。
JR諫早駅から各駅停車の列車に乗ると、「長与」という駅に止まる。弘安8年(1285)の「豊後国図田帳」によると、肥前国長与村御家人として、長与右馬次郎家経という名前が記載されている。

その後長与一族は長与村に住んでいたが、戦国時代になると切支丹大名の大村純忠の領国となったために、長与氏は純忠の家臣になった。江戸時代になり、長与一族の中の長与住勉は、彼杵村(そのぎむら)(現長崎県東彼杵村)に移り住んで医者となった。長与住勉の息子・住賢は藩主に従い、江戸に上っている。
藩主から藩医として嘱望されたが、健康を理由に断っている。その長与住賢の子が長与俊民であり、長与俊燵の父である。
俊民は藩医になる前に、藩主純鎮(じゅんやす)に気に入られ、彼に従って江戸に赴いた。

その後彼は一旦帰郷したが、再度江戸で医学の修練をおこない、彼杵村では不便なために帰藩後に大村湾を望む風光明媚な浜辺の片町に移った。一方が水辺で、片方が家並みのない形の町並みを片町と言うそうである。
この片町には町家が多かった。俊民は寛政5年(1794)に藩主から30石の他に知行地を賜り、次の藩主になるべき純昌の種痘用掛に任命された。しかし彼は文化12年(1815)に他界している。

長与俊達のおいたち

長与俊達は 寛政元年(1789)、長与俊民の次男として大村に生まれた。
兄政之助は11歳のとき、天然痘に罹り夭折した。
当時俊達は8歳で、死んだ兄の着ていた肌着を着用させられ、痘衣法による種痘を行い、天然痘の中症から重症の間をさまよい善感した。
俊達は元来漢方医であったが、古来の医学に満足していなかった。
そしてオランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を翻訳した杉田玄白らの「解体新書」に接したために、若い俊達は江戸・大坂には行かず、長崎出島の通詞の西吉兵衛に西洋医学を学んだ。
文化2年(1805)には、すでに牛痘種痘法は中国の広東まで来ていて、そのニュースは長崎に届いていた。そのために俊達は長崎に滞在中に、英国のジェンナーの牛痘種痘法を学んだと言われている。
文化2年(1805)に長崎から帰り、その年に最初の妻・ハルと結婚した。
その後ときどき長崎に赴き、通詞西吉兵衛と交流深め、オランダ医学の情報を得ていた。父俊民は「浜の大先生」、俊達は「浜の若先生」と呼ばれた。
文化12年(1815)に父が他界したために、26歳の俊達が家督を継いだ。
文政5年(1822)に俊達は、同藩の波佐見から16歳の男子を養子に貰い、長女の婿にする予定であった。
名前を中庵と称し、江戸幕医の最高権力者多紀元堅楽春法印に学んでいる。
中庵は優秀で、多紀元堅が「傷寒論述義」を著したとき協力している。

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