此れの本の読者の多くは、恐らく医師や医学生を始め様々な世代にわたるであろう。著者が軽妙な筆致で綴る筑豊での高校時代、剣道部の毎日、教師との交流、受験準備、大学生活などは現代の青年達にどの様に写るであろうか。多分、古き良き時代の牧歌的生活として童話のような印象を受けるのではなかろうか。
しかし、それは著者のおおらかさや懐の深さによるものであって、淡々と語る文章の背後には何時の時代も変わらぬ、青年期に特有の自負や誇りと共に、惑いや不安、青春の模索が読み取れてこの所振り返る事のなかった私自身の想い出を鮮やかによみがえらせてくれた。
六本松での教養部時代、この時から私は六年間を著者と共に医学生として多くの時間を共有したのであるが、今この本を読んで大変羨ましいのは二年間の教養部生活が彼にはまさに教養部であって、英語を中心にラテン語まで含んだ語学への傾倒やスポーツに取り組む姿、人々との出合いは我々にも身近な情景であるにも拘わらず、彼のそれには、カロッサの「美しき惑いの年」、漱石の「三四郎」などと通じ合う独特のみずみずしさが溢れている。
然し乍(なが)ら 、本書に描かれた著者の半生の自伝のなかで最も心を打つのは、九大を卒業し、立川の米空軍病院でのインターンを経て米国に渡り外科レジデントとして孤立無援の生活を始めてからである。昭和39年当時、未だ我が国の国力は現在程には世界に認められておらず、言わば発展途上国であった日本の一青年が同僚や先輩医師たちに少しづつ存在を認められ習練を積んでゆくには並々ならぬ困難があったと想像される。
外科レジデントのコース選択が望み通りにならなかったり、指導医が意地悪であったりして多少の遠回りを余儀なくされたものの、どのような場合でも結局は目標を達成してしまうのはひとえに著者のおおらかさに支えられた、粘り強く強靭な生き方によると思われる。
語り綴られている多くのエピソードの中でも、圧巻は周到な準備の上で挑戦する外科専門医試験、とりわけ口頭試問の場面である。世界的に著名な教授達に囲まれて次々に質問をクリアーしたあと、最後にエール大学のバヴィ教授に
「君はハルステッドと言う名前を聞いた事がありますか」
と問われ、一際身を乗り出して医学史に関わる様々なエピソードを縷々(るる)述べたて、ついには謹厳な試験官たちが笑いだしてしまうくだりである。この情景にこそ著者の人柄、人生への姿勢が如実に現われている。即ち、あれ程苛酷な試験準備のさなかにあっても、個々の専門知識だけでなく医学そのものに関わる広い裾野に目を向けて、氷山のように海面下に厚みのある知識を身につける結果となっている。
帰国後の著者の、医師としての活動を見るにつけ多くの患者に信頼されるのみならず、若い医師達に慕われるのも当然であると思われる。読み終えて、爽やかさに満たされる一冊であった。
九州大学医学部同窓会 学士鍋 第80号(1991.9.20)清成秀康氏の寄稿より抜粋
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