「玄碩殿、蘭人シーボルト対話の上、稀代薬方被伝授度、何の思慮も無く右蘭人へ御紋服を遣候殿、国禁を犯し不届きにより改易為被仰付 候也」という罪状で、土生玄碩は閉門蟄居を言い渡された。
息子の玄昌も将軍の侍医の職を失い、土生家の拝領地、居住地、そして私的財産もすべて没収された。
しかしのちに、将軍の難病の眼疾を息子の玄昌が治療したために、息子は復職したという。
また玄碩の純粋な学問的な興味から出た行動であることも幾分理解され、土生玄碩も蟄居が許されたという。
再度市井で開業して名声を得たという説と、医業に携わることを禁じられていたという説がある。
しかし、彼は炎の人らしく、「自分の生涯は、悔いなきものであった」という述懐の言葉を残して、嘉永元年(1848)8月17日に永眠した。享年87歳であった。
玄碩の著書はあまり知られてはいないが、「銀海波抄」「師談録」「獺祭録(だっさいろく)」などがあるという。
玄碩は土生家の菩提寺である東京都中央区築地本願寺中眞龍寺に埋葬されていたが、昭和3年12月に区画整理のために、現在の位置に改葬された。
築地本願寺の親鸞上人の銅像の横に墓があり、「桑翁土生君之墓」と書かれている。
《参考文献》
1) 吉村 昭:日本医家伝(講談社1971)
2) 日本医師会(編集)、酒井シヅ(監修):医界風土記 中国・四国編
(思文閣出版/1994)
3) 齋藤 信(訳):シーボルト参府旅行中の日記(思文閣出版/1983)
4) 福島義一:高良斎とその時代(思文閣出版/1996)
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