故郷に帰った翌年の文政2年(1819)に、京都の南禅寺の近くに開業した。凉庭の名声は次第に高くなり、弟子入りした若い医者たちをよい臨床医に育成した。その弟子たちを分に応じて上手に診療させる病院組織を創ったために、年に何万両という収入があった。
当時京都では、年に千両以上稼ぐ医者を「千両医者」といい、医師の一種のステータスであった。しかし凉庭は一人で稼ぐより、弟子達とともに稼ぐために、人も羨む「万両医者」になっていった。
凉庭の家訓は「医術未熟にては相不成の訳柄にて、忽ち目前に人命を毀(そこ)なひ傷つくるに至れば、仁義の心ありても仁義ならず、如何様の美行ありとても美行に立たぬゆえ、第一に医術志を純一にして、医学執行可致事なり」と厳しく医学と医療を学ぶ大切さを諭している。
天保9年、大坂の緒方洪庵は、「オランダ語を学ぶ」適塾を建て、その翌年天保10年(1839)に凉庭は南禅寺の横に、西洋の医学校の組織に似せた医学教育を重んじる場所として、また当時の京都での文化人交流の場所とした「順正書院」を設立した。彼は53歳、京都で開業して20年、多くの門人を擁し、大名にも金を貸すほどの蓄財があったときに創ったものである。これは彼が若いときに、貧乏しながら苦労して読書・勉学し、多くの患者を診察し、さらに5年間滞在した長崎で学んだオランダ式の教育法を実現するための長年の夢を実現したものであろう。
またこの中に当時としては信じがたい凉庭の開放合理主義を垣間見ることが出来る。順正堂学律には、「書生は他門に通い候事に禁なし、各門長ずる所を得んことを要す」と書かれているという。これは門外に医療の秘術を教えない当時の医学界の風潮から外れた画期的なことである。
順正書院には、凉庭の長崎での師パティが祖国で学んだ先生のプレンキの解剖学書、外科学書、婦人科書、小児科書、梅毒書、外薬学則書、局方書、化学書などの一連の書、ゴルドンの外科書、ハイステルの外科学書、ブールハーフェの「万病治準」などの当時の著名なオランダ書が33種類揃えてあった。これらの書も凉庭が全て読破し、翻訳していたという。これは本当にすごい情熱と精力の賜物であると思う。第8代将軍吉宗の時代の「禁書の解禁」から、9代将軍家重、10代将軍家治の田沼意次の自由な時代、11代将軍家斉時代のさらなる自由な風潮が押し寄せ、以前に比べて洋書に関しても厳しくない時代の恩恵に浴しているのであろう。
凉庭は順正書院を作ったあと、自分の理想とした医療、医学の教育を15年間行うことが出来た。また後継者である凉民、凉閣、凉介の3人の優秀な子供に恵まれて、幸福な晩年を過ごしている。
しかし嘉永7年(1854)1月9日に68年間の充実した一生を終え、医学の歴史にその一頁を残している。嘉永2年にオランダ商館医モーニッケによって、天然痘にたいする「牛痘痂皮」のワクチンが成功し、直ちに京都の日野鼎哉のもとに伝えられた。さら大坂の緒方洪庵にも分苗されて種痘が広がったので、新時代の到来を見守りながら、天国に召されていったと想像する。
順正書院は明治まで続いていて、明治2年(1869)に3人の息子たちによって「順正書院記」と「順正書院詩」の2書が出版されたことを伝えて筆を置く。
新宮凉庭の名前などご存知ない方が多い。シーボルトが文政6年(1823)に来日しているので、もう少し長崎に滞在したら面白い事態になったのであろう、と勝手に想像しながら、文章を書いている。
凉庭はシーボルトの京都での弟子の日野鼎哉と余り交流がなかったので、シーボルトたちは京都に滞在したときには、恐らく交流は無いのでは???とも思った。
とにかく、凉庭は当時の医者としては、色々な観点から型破りの医者であったようである。
《参考文献》
1)山本四郎:新宮凉庭傳(ミネルヴァ書房 - 1968)
2)京都府医師会:京都の医療史(思文閣 - 1980)
3)橘 輝 政:日本医学先人伝(医事薬業新報社 - 1969)
4)藤浪剛一:医家先哲肖像集(刀江書店 - 1937)
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