昭和56年に日本に帰国後、日田中央病院と福岡市那珂川病院に20年間勤務したが、私は毎年5-6症例にペース・メーカー挿入術を行っていた。
そのために、昭和62年ころ、東京女子医大心臓外科教授・須磨幸蔵先生が主宰されたペース・メーカー学会に加入し、出席した。
そのとき、学会の展示場に「田原淳の業績」を展示したコーナーが設置されていて、私の母校の教授であった田原淳の生涯に興味を抱いた。
須磨先生が1976年の国際ペース・メーカー学会のときに作られた英文の「Tawara Memorial Note」も、そのコーナーに展示されていた。学会後に、須磨先生にお手紙を差し上げて、「Tawara Memorial Note」と1978年の世界循環器学会のときに、英文の「History of Cardiology in Japan」という冊子も戴いた。
そのあと、私は田原淳関係の資料を集めて、福岡市医師会の建物がまだ南薬院にあったころ、市医師会雑誌に「田原淳」の紹介文を書いたことがある。
ところが、ある会合で、私の医学部同級生で原土井病院理事長・原寛(はらひろし)君が、田原淳のお孫さんに当たる「村山暁(さとる)」先生を紹介して戴いた。村山暁先生は、九大医学部を昭和33年に卒業されて、九大第三内科に入局され、天神西通りで「村山内科」を開業されている。
九大時代の田原淳の住居は福岡市薬研(やげん)町(現・福岡市天神二丁目)にあった。岩田屋の南・国体道路の北にあるNTTの建物の一角で、警固公園から西通り方面へ抜ける道の角に、現在日本語表示の「田原淳の住居跡」の碑がある。その昔は、英文で次のように書かれた金属プレートがあったが、風化され消えたので、取り除かれた。その消えた英文は「This site is the former residence of the world wellknown Prof. Sunao Tawara who discovered the conduction system of the heart.」であって、実はこの文章、村山先生に依頼されて、私が書いたものである。
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